「世界最高峰の山、エベレストの一番高い場所からスキーで滑りたい。」 今から半世紀前の1970年、エベレスト山頂・標高8100メートル地点のサウスコルから世界で初めてスキーで滑走するという“前代未聞の大冒険”を実現した冒険家がいる。当時37歳、その後も数々の常識を打ち破り、人類の可能性を広げてきた冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さん(88歳)がその人だ。1964年にキロメーターランセ(スピードスキー)で世界最速記録を樹立し、66年に富士山直滑降を達成した三浦さんが、次の冒険に選んだのが「エベレスト大滑走」だった。その後も世界七大陸最高峰でスキー滑走を達成し、幾多の大怪我や心臓病などの手術を経ながらも70歳、75歳、80歳と世界最高齢でのエベレスト登頂に成功。エベレスト大滑走から半世紀を迎えた冒険家、三浦雄一郎さんに、冒険を続ける理由と、コロナ禍により変化する世界の中で奮闘・挑戦を続ける人々へのメッセージを聞いた。
1970年5月6日、世界最高峰エベレスト・サウスコル8000メートルからスキーで滑走に挑む三浦雄一郎さん。前代未聞の大冒険に挑戦し、人類の冒険史の新しいページを開いた。(カラー写真の撮影は、写真家でエッセイストの小谷明さんが撮影した。)
まだ誰も心にすら描いたことのない人類の未知なる可能性へ
ーー「エベレスト大滑走」から50周年おめでとうございます!三浦さんが50年前に、前人未到のエベレストからの滑走に挑戦された理由とは何だったのでしょうか。
「当時、私の夢は世界中の山々をスキーで滑ることでした。その過程のなかで、私たち日本人にとって象徴であり、深い畏敬の想いを持つ富士山を直滑降することに挑戦しました。あの富士山直滑降、パラシュートブレーキを使用して挑んだ冒険が、次なる挑戦、世界一のエベレスト大滑降へと繋がっていったのです。 まだ誰も心にすら描いたことのない冒険、人類の未知なる可能性へ向けて命をかけてやってみようと...。私にとってスキーは自由になるための大切な道具です、そのスキーで雪山を滑る、それも世界最高峰の壁を直滑降できたらどんなに素晴らしいことか...。 まあ理由といえばそんな発想でした。達成時の思いですが、滑落してよく最後の最後に岩にぶつかり、ブレーキがかかって命びろいができたと。99%死を覚悟していましたから、なんとラッキーなのか、ほっとしたと同時によく生き延びたと我ながらすごいと思いました。」
世界最高峰の山エベレスト/ エベレスト大滑走は地球規模の一大プロジェクトだった。1953年に人類初の世界最高峰登頂に成功した登山家エドモンド・ヒラリー卿(右)との出会いも、エベレスト大滑降のきっかけの一つになったという。なったという。
“生と死の2分20秒 ”
ヨシ、この風だ、と思ったときスタートしていた。 風が消えていた。イタリアでのツェルビニアのレースで時速172キロを出したとき、聞こえた暴力的な風の音、富士山の頂上からまっすぐスタートしたとき、そして滑降レースのときに聞く風の音、それがない、音のない世界へ入っていく。つまり薄い空気に多分いくらかの追い風をうけていたのだろう。やがてパラシュートを開く。 しばらく滑り続つづけているうち、もうこの滑降は生きて帰れないかもしれないと感じはじめた。
案の定、氷のカベは、とび込んでみたら波をうってめちゃめちゃに荒れていた。その中に無数の落石がささり込んでいる。カミソリのように研いだはずのスキーのエッジもヤリのようにするどいストックの先も、氷の急斜面がぜんぜんうけつけない。スキーのブレーキ絶望・・・(中略)
いったい死ぬ瞬間はどうなんだろう。その瞬間への期待とはおかしな話だが、一種の死の瞬間への奇妙な好奇心すらおきはじめているではないか。もう俺は、人間というものからおさらばなんだなあ!その後は何になるのだろう?
しかし、それにしてもどうなんだろう。このとらえようのない空しさ、寂しさは・・・。人生は夢だったのか・・・夢、夢という字が頭の中にふえていく。 そのとき、生き物の本能であろうか、まだパラシュートが開いているなら・・・と上を見た。パラシュートは忠実な生き物のように、まるで他の世界からやってきた生き物みたいに赤く大きく開いてゆれていた。必死でヒモをもちあげる。 目の前に岩が現れ、ぐんぐん近づく。そのまま衝突、時が止まった・・・。 気がついたら、斜面にうつぶせになって頭を上にしてはりついていた。どんな偶然が、あるいはどんなものの意思が自分を止めてくれたのだろう。 本当に生きていることを確かめたかった。腕で雪をたたきヘルメットをかぶった頭を二度三度氷にぶつけ、再び人間というものにもどった自分をたしかめた。そして自分というものが、とても懐かしかった。
【EVEREST 日本エベレスト・スキー探検隊の記録 1970年5月6日三浦雄一郎】 より抜粋
「エベレストの滑走が終わってからも、自分自身は特に変わったようには思いませんでした。まだまだ人生チャレンジを続けていこう、その想いは変わらずにそのまま次から次へと新たな挑戦へ向けての意欲が湧いてきました。 1970年エベレストの当時の心に深く残っているエピソードは、あの遠征で6名のシェルパの命を失ったことです。彼らの死が一番つらく、悲しい思い出であります。」
好奇心と探求心が冒険の原動力、新しい人生のページを拓く喜び
ーーこれまでの冒険を可能にされてきた原動力とは何でしょうか。また、三浦さんにとって冒険する喜びとは何でしょうか。
「自分でこれをやってみたい、そんなチャレンジ精神。それもまだ誰もやったことがないもの。〈世界初〉である、その景色は、乗り越えていった先にあるまだ見ぬ世界とはどんなものなのか。そんな好奇心や探求心が冒険の原動力です。冒険とは未知の世界に飛び込み無我夢中で挑む、その行いそのものが夢の実現へと繋がる。新しい人生のページを拓くことが喜びとなります。過去の冒険で1970年のエベレストも強く心に残っていますが、もうひとつあげるとすると1977年の南極遠征、名もない未踏峰の山を滑っているときに雪崩に巻き込まれたこと。巨大な雪煙にまかれながらも死という恐怖よりか、もしこれで生き延びることが出来たのならなんと贅沢な経験なのであろう...。そう感じていました。 70歳、75歳、80歳で挑んだエベレストの山頂もその時々に乗り越えなくてはならない、不整脈、心臓手術、骨盤骨折、年齢そのものがチャレンジでありましたが、そんなハンディを超えることが出来た分だけ、ひとしおの達成感でした。 75歳の頂では素晴らしい眺望でありましたが、一緒に登っていた豪太がその直前に重篤な高度障害に見舞われ緊急下山をしなくてはならなかった。彼の命が助かったこと、そして思ったのは豪太に是非この景色をみせたかったという思い。それが80歳での挑戦へも繋がりました。」
三浦さんは半世紀前のエベレスト大滑走の後、次男の三浦豪太さんとの親子同時登頂を含め3度のエベレスト登頂を成し遂げている。 史上最高齢でのエベレスト登頂は、不整脈や心臓手術など幾多のハンディを超え達成された。 「一歩一歩、歩いて行ったら、地球で一番高いところに立つことができた」と三浦さん。 日々の鍛錬と年寄り半日仕事。現在、三浦さんはリハビリに取り組み、90歳でのキリマンジャロ登頂をめざしている。
どんな苦しい中でも、夢が人に大きな勇気を与える
ーーコロナ禍を受け、未来を見通すことが難しい時期が続いています。様々な環境の中で挑戦を続ける人々にメッセージをお願いします。
「実は、コロナ禍の真っ只中、2020年6月の初めに私は「特発性・頚髄(けいずい)硬膜外血腫」を発症して、脊髄損傷の後遺症で長期にわたる入院を余儀なくされていました。最初の2か月間はほぼ寝たきりの状態で、徐々に運動麻痺と感覚障害から回復、まだ自力歩行をするまでにいたってないのですが、必ず歩けるようになると信じて前向きにリハビリを続けていて、そんなとき、励みになったのは私が校長を務めるクラーク記念国際高等学校の野球部が北北海道大会で勝ち進む姿でした。10代の若者たちが一生懸命頑張る。よし、私もやるぞ、と。 未来を見通すということは、希望と夢を持ち続けること。コロナ禍であろうがなかろうが、その先にある目標を持つこと、その為の基礎的な体力作りをしていくことがとても大事なのだと思います。今できなくなくとも、いつか必ずできる。私自身はいい意味で執念を持つことではないかと思います。そういう気持ちが大事だと。 87歳を過ぎて大病を患い、今はまだ歩くことすらできないけど、一歩自分の力で歩けるようになること、そしてその一歩がまた小さな山でもいい、登れるようになること、そしてスキーを滑れるようになること。そう念じながら過ごしています。 エベレスト大滑降から50年、沢山の挑戦や冒険を繰り返してきました。何度も命の危険や苦しいことがあったかと思うのですが、不思議なことに辛い苦しいという記憶は残っていない。楽観的な性格なのかもしれませんが、乗り越えた達成感というものはしっかりと心に刻まれています。」
三浦さんは半世紀前のエベレスト大滑走の後、次男の三浦豪太さんとの親子同時登頂を含め3度のエベレスト登頂を成し遂げている。 史上最高齢でのエベレスト登頂は、不整脈や心臓手術など幾多のハンディを超え達成された。 「一歩一歩、歩いて行ったら、地球で一番高いところに立つことができた」と三浦さん。 日々の鍛錬と年寄り半日仕事。現在、三浦さんはリハビリに取り組み、90歳でのキリマンジャロ登頂をめざしている。
ーーありがとうございます。最後に、現在の目標について教えてください。
「10月12日に88歳になりました。出来るかどうかは分かりませんが、今、自分の目標は90歳で親子3代、アフリカ最高峰のキリマンジャロへ登ることです。まずは一歩から始めます。どんな苦しいなかであっても夢が人に大きな勇気を与えてくれます。」
「エベレスト大滑走」から50周年。半世紀の節目となる今年、冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さんにお話を伺いました。前人未到のエベレスト8000メートル地点からの大滑走の映像は、記 録 映 画「The Man Who Skied Down EVEREST」としてアカデミー賞で長編ドキュメンタリー映画賞を受賞し、類稀なる冒険家として三浦雄一郎の名を世界中に知らしめました。その後、現在まで続く「エベレストと三浦さんの物語」は皆さんの知る通り。冒険者として、そして教育者として三浦さんが挑戦を続ける姿は多くの人に勇気を与えています。88歳を迎えた今年、コロナ禍で未曽有の困難が世界の人々の前に立ちはだかる中、三浦さんは大病により入院を余儀なくなれ、現在もリハビリを続けています。そんな中でも「どんな苦しい中でも、夢が人に大きな勇気を与えてくれる」とメッセージをいただけたことに、格別の感謝を申し上げます。時代が大きく変化する中でも、夢を実現しようと挑戦を続ける人々の情熱は変わることがありません。三浦さんの新しい挑戦に期待で胸を躍らせながら、私たちも『夢の実現』に向けて、新しい日常と、新しい冒険に挑戦していきたいと思います。」